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楽しみは「ぶら~り旅」にて見聞き知り、備忘録にて残す時。

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ストレス解消に、気ままなぶら~りと黄色いアウディA4&青いジャイアントESCAPE AIR→青いルノーカングー&青いトレックEMONDA ALR5レポ。

癒しの2泊3日広島の旅・1日目前編

病気休暇・休職に入って、1年半が過ぎようとした頃、父親から提案がありました。
「気晴らしに広島方面へ出かけないか?」
病休になってからは一度も宿泊旅行はしておらず、暖かい時季の週末はロードバイクで走り回るものの、10月以降はウェアを持っていないことと節制に務めていることから、屋内に籠りがちなのを見かねたのでしょう。
ちょうど母親がボランティア活動で不在である期間と同じ日数を、前々から訪れたかった広島方面へ行こうと誘ったのだそう。
主治医に長時間の運転は止められているので、他に父親の友人2人と計4人で1台を運転交代しながらという計画。
2泊3日の旅程は私が考えれば良いということなので、天気次第なところもありますが頑張ってプランを練って実行したものです。

北陸自動車道~舞鶴若狭自動車道~中国自動車道~山陽自動車道を通って広島県入り、福山SAで昼食です。
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ここで食事ならば、やっぱり「尾道ラーメン」。
私は『尾道ねぎラーメン』を注文、クセになる旨さでした。
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広島東JCTからは広島高速1号線へ、府中ICで一般道へ。
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プロ野球・広島東洋カープの本拠地・MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を横目に、時折広島電鉄の路面電車と並走しながら、広島市中心街へ。
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平和大通りを通り、宿泊先の駐車場へ車を入れて、先に宿泊先へチェックインしました。
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宿泊先から歩いて平和大通りを進み、元安川に架かる平和大橋を渡ります。
欄干のデザインは、日系アメリカ人彫刻家であるイサム・ノグチの手によるもの。
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兎にも角にも、広島に来たら真っ先に訪れたかった広島平和記念資料館へ。
建築家・丹下健三設計の本館は、第二次世界大戦以降の建築物としては初めて指定された国重要文化財だが、、、現在は改修工事中、平成31年春にリニューアルオープン予定とのこと。
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東館へ入館します。
平日ですが、洋の東西・老若男女問わずたくさんの入館者に圧倒されます。
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あれもこれもを撮ることは厳しいので、琴線に触れたものだけを撮影・紹介します。

3階に進みます。
昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、B29エノラ・ゲイ号から原子爆弾「リトルボーイ」が投下された後の広島市街。
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「核兵器の危険性」、誰もがその内容に驚愕します。
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原爆投下前の「広島県産業奨励館」と、投下後の「原爆ドーム」のミニチュア模型。
修学旅行の生徒たちが、変わり様に驚いていました。
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1階の企画展示室へ、企画展として「原子爆弾による被害の概要」が催されて、生々しい遺品の数々が拝見することができます。
そのうちのひとつを紹介、爆心地から1500m離れたところにいた3歳児が乗っていた三輪車。
幼児はその日の夜に死亡し、父親は不憫に感じて亡骸とともに三輪車を自宅庭に埋葬、、、40年後に父親が遺骨を墓に納骨するために一緒に掘り出して寄贈されたもの。
当時は肉親が亡くなったので火葬してお墓へ、なんて状況では全く無いことをも知り得ます。
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最後に地下1階へ、初めて現職アメリカ合衆国大統領として訪問されたバラク・オバマ氏のメッセージと折り鶴。
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平和記念資料館を後にして、広島平和記念公園内を北へ。
3日間の旅程でこの初日が一番好天であることを願っていたので、この青空は御褒美だと思いました。
平和記念資料館と比べると入館者は少ないですが、是非とも一緒に訪れて欲しい場所。
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地下2階にある「平和祈念・死没者追悼空間」。
こちらは地平から記録された原爆投下後の爆心地からみた街並みが360°に広がっています。
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この次の展示室である「遺影コーナー」は、御遺族の申し出により登録された原爆死没者の遺影が次々と映し出されます(撮影禁止)。
原爆死没者の検索もできるのですが、、、戦時下とはいえ、普通に生活をしていた人々が如何に無差別で無慈悲な兵器によって一瞬のうちに命を終え、あるいは苦しみ続けたかをリアルに感じました。

原爆死没者追悼平和祈念館を後にして、平和記念公園内を散策します。
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『祈りの像』の前を通って、、、
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毎年8月6日に催される平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)でおなじみ、原爆死没者慰霊碑。
日本人よりも、外国人の方々が多くこの場にいました。
石碑の碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」の意味を、一人ひとりが良くよく考えることが大事。
慰霊碑の先には、原爆ドームが。
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『平和の池』沿いに北へ、『平和祈念像』を横目に進みます。
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『平和の池』の北端、平和資料記念館本館・慰霊碑と原爆ドームを結ぶ軸線上にあるのが『平和の灯』。
全国12宗派から寄進された「宗教の火」と、溶鉱炉などがある全国の工業地帯から集められた「産業の火」が、昭和39(1964)8月1日の建立以来燃え続けている。
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平和記念公園内を東西に走る道路を渡ると、、、やはり是非とも訪れたかった場所へ。
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原爆の子の像』です。
被爆から10年後に白血病で当時12歳の少女が亡くなられたことがキッカケで募金運動が始まり、3年後の昭和33年5月5日に完成。
囲む様に設置されている折鶴ブースには、全国から折り鶴が寄進されています。
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手を広げている少女のが、キッカケとなった佐々木禎子さんの像。
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中にある鐘は、吊るされている金色の折り鶴型のおもりが風に揺られると風鈴の様に鳴る仕組み。
真下にある石碑には、表に「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」、裏には広島平和をきずく児童生徒の会による「原爆で亡くなった兄姉の霊をなぐさめ世界に平和を呼びかけるために広島市小中高校の子供が結集し全国の友達の支援のもとにこれをつくる」との碑文が、それぞれ刻まれている。
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側面二体の像は、少年少女の明るい希望を象徴しています。
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元安川越しに、原爆ドームが見えてきました。
ここのベンチにて、一休みします。
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修学旅行シーズン真っ盛り、、、小学生から大学生?まで大勢の学生グループがあちこちで、語り部さんの話に聞き入ってました。
多感な若い年代にここを訪れることは、大変意義深いものだと私は思っています。
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『平和の鐘』の横を通りましたので、私たちも鐘を打ってみました。
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原爆が投下されるまでは、広島平和記念公園の一帯は「中島町」という広島藩政時代から続いた屈指の中心地・繁華街だったそうで(広島平和記念公園の住所も「広島市中区中島町」)。
しかし、爆心地から半径500m以内とあって、一瞬で町並みが消滅したとのこと…。

旧太田川と元安川に架かる全国でも珍しいT字橋である、相生橋を渡ります。
原爆投下の際の目標点とされた場所です。
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世界遺産・原爆ドーム(←広島県産業奨励館←広島県物産陳列館)の周囲を巡ります。
本当に、天気に恵まれた中で間近に眺めることができて良かったです。
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原爆ドームにて、集合写真を撮る児童・生徒(というか学校)が多かったですね。
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この近く(元安桟橋)から、世界遺産(原爆ドーム)と世界遺産(厳島神社)を結ぶ定期船「アクアネット広島」があるというのを、、、この船を見て初めて知りました!
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引き続き、原爆ドームを一周するように回ります。
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原爆ドームも、昭和30年代半ばには取り壊しの話があったそうで…。
被爆から15年経った昭和35(1960)年に白血病で亡くなった楮山ヒロ子さんという16歳の女子生徒が残した日記の中に「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」などと記されていたのを読んで感銘を受けた有志が保存運動を訴えて、6年後に永久保存が広島市議会で決議されたとのこと。

「負の遺産」は生き残った方々にとっては辛い記録かもしれないが、後世に伝える記録としては一目瞭然の代え難い象徴であり続ける。
おかげで、40代後半になった私も様々な感情が湧いてくるキッカケになりました。

1日目後編に続きます。。。
 
 

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by chiketas | 2017-11-06 15:40 | お出かけでぶら~り | Trackback | Comments(0)
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