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楽しみは「ぶら~り旅」にて見聞き知り、備忘録にて残す時。

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ストレス解消に、気ままなぶら~りと黄色いアウディA4&青いジャイアントESCAPE AIR→青いルノーカングー&青いトレックEMONDA ALR5レポ。

越前松平家発祥の地へ・後編

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越前松平家初代かつ越前福井藩祖・結城秀康公の生誕地である国重要文化財・中村家住宅の主屋をジックリと堪能した後は、、、主屋の外を巡ります。



保存修理事業を施したとはいえ、とてもきれいな状態の外観に惚れ惚れします。
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石の通路に沿って、西へ進んでみます。
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こちらが、藩主が主屋に入るときに通った上がり縁を外から見たところです。
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小振りながら良い感じの庭園があります。
花が咲く時季だと、もっと華やぐのかも。
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石の通路の突き当たりにあるのが、天神社跡地
敷地内に神社があったことが、凄い!
中村家は神官の家柄でもあるので、おかしいことでは無いのかも知れませんね。
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天神社跡地から、北へ向かいます。
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南西の方角から眺めた主屋は、改めてきれいな茅葺屋根だなぁ~と感心してしまう。
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主屋に沿って進んで行くと、奥にあるのは、、、
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織部灯籠を横目に進んで、、、
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四畳半の窓からも確認ができた、茶室です。
勝海舟も、この茶室を訪れたことがあるとか。
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入口の障子が少し開いていたので、内部を眺めることができました。
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戻ったところ、主屋の西に立っているのが、、、石灯籠(五重塔)
主屋が建てられ、鬼瓦が造られた貞享5(1688)年に、いわゆる新築祝いとして江戸日本橋の親戚・中村清兵衛から頂いたものとのこと、はるばる江戸から海上輸送されてきたものです。
造られた年号が、この五重塔に刻まれています。
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こうやって主屋と重ねてみると、如何に中村家の家格が高かったかが分かる様です。
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そして、中村家が決定的に特別な地位を保っていた理由が、、、厳重に塀で囲まれているこの場所。
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門扉には、徳川・松平の三つ葉葵の御紋。
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浜松市指定文化財・胞衣塚
徳川家康の次男・結城秀康公が中村家で生まれ、その時の胞衣(胎盤)を埋めた塚で、、、塚の上には家康お手植えと伝わる梅の木(ただし何代目かの梅の木)が育っています。
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胞衣塚の横には、明治17(1884)年に越前松平家一門が建立した胞衣塚碑が寄り添っています。
石碑の篆額は美作津山藩第8代藩主・松平斉民(確堂)の染筆、碑文は越前福井藩第16代藩主・松平慶永(春嶽)公の撰文と、幕末の名君2名が関わっています。
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ちなみに、、、越前松平家一門は結城秀康公の長男・松平忠直(越前福井藩第2代藩主)卿の子孫である美作津山藩10万石、次男・松平忠昌(越前福井藩第3代藩主)卿の子孫である越前福井藩32万石、三男・松平直政の子孫である出雲松江藩18万石、五男・松平直基の子孫である上野前橋藩17万石、六男・松平直良の子孫である播磨明石藩8万石の5家があります。

胞衣塚・五重塔・茶室・織部灯籠、、、ひとつひとつが、中村家住宅の高い格式を物語っている様に感じます。
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今一度、5年越しの念願だったこの主屋をよく眺めながら、主屋沿いに戻ります。
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観覧客はずっと私一人っきりだったこともあったのでしょうが、受付の方お二人からの懇切丁寧なガイドで良い時間を中村家住宅で過ごすことができました。
本当に感謝!御礼をお伝えして、中村家住宅を後にしました。
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長屋門から、北へ向かいます。
塀の上から、茅葺屋根がチラチラと見えますね。
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敷地の北側に、駐車場があることを知りました。
次回にもし再訪する時は、クルマで来てみたいです。
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塀越しの茅葺屋根を見ながら、北側の道路を西へ進みます。
裏門がありますが、おそらく主屋や庭園などのメンテナンスをするための出入口かと思ってます。
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さらに西へ歩いて行くと、、、中村家住宅の北西の道向かいに小さな神社があります。
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中村家住宅の敷地内にあった、天神社跡地の移転先がここ。
菅原道真、後醍醐天皇や、結城秀康(ここでは「松平秀康」)公を祀っている天神社です。
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祠の様な建物内に石灯籠がありました。
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小振りの拝殿は、跡地の面積とほぼ同じ大きさと感じました。
おそらく、中村家住宅から移転してきたそのものかと思っています。
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弘化2(1845)年に、津山藩主・松平斉民が再建したものとのことです。

さらっと天神社を眺めて、中村家住宅とお別れです。
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5年越しの念願叶って、結城秀康公生誕の地を訪れることができました。
当時の徳川家康は、清洲同盟による織田信長の盟友で、浜松城を本拠地にした三河・遠江2ヶ国の領主。
何故、城内ではなく家臣の邸宅で出産が行われたのか、、、俗説では正室・築山殿の折檻を逃れるために、重臣・本多作左衛門重次の計らいでお万の方が避難した先が中村家という説がありましたが、、、受付の方は、岡崎に留まっている築山殿が浜松のお万の方を折檻しようが無いと仰ってました。
となると、当時「畜生腹」と忌み嫌っていた双子であることが判明したため、避けられたのでは、、、という説が説得力があると(双子の弟は、お万の方の実家である永見家の子として預けられたという)。
まぁ、68万石で越前入国を果たすまでは父・家康に避けられた存在の秀康公故に、武勇・器量は称賛される武人に育ててくれた人質先の豊臣家には恩義に感じたのかも。
一門の石高をすべて合わせると90万石になる越前松平家発祥の地は、、、とても質素で風変りで、貴重な古民家でした。

もうひとつ続きます。。。
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by chiketas | 2016-01-11 12:05 | お出かけでぶら~り | Trackback | Comments(0)
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