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楽しみは「ぶら~り旅」にて見聞き知り、備忘録にて残す時。

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ストレス解消に、気ままなぶら~りと黄色いアウディA4&青いジャイアントESCAPE AIR→青いルノーカングー&青いトレックEMONDA ALR5レポ。

越前松平家発祥の地へ・前編

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JR東海の特別快速に乗車して浜松へ、さらに遠鉄バスに乗車して向かう目的地とは、、、バスを降りて、先ずはr62を横断します。




ここは、浜松市西区雄踏町宇布見というところ。
平成の大合併をする前は、浜名郡雄踏町と呼ばれていた地です。
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r62から集落内に入って数分で、5年間訪れたいと思っていた目的地に到着です。
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国指定重要文化財・中村家住宅に到着!
浜松市指定文化財である長屋門が迎えてくれます。
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長屋門を潜ります。
現在は屋敷の東側にある門ですが、、、元々は南に向けて建てられていた門とのこと。
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長屋門を過ぎて左側に展示棟があり、ここの受付で観覧料(200円)を支払います。
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5年前の3月に「養浩館庭園ライトアップ」を訪れたことが、中村家住宅を訪問するキッカケでした。
歩道を照らす手作りの行燈が、浜松市の雄踏小学校の児童が手作りしたモノであることに興味をもったのでした。
その時初めて、雄踏町に越前松平家初代かつ越前藩祖で徳川家康次男・結城秀康公の生誕地があることを知ったのです。
以来、是非とも訪れてみたいと願っていたのだが、、、ようやく念願が叶いました!
この中村家住宅が、その場所なのです。

「まずは展示室をどうぞ」ということで、受付の方の説明付きで展示室へ入室です。
福井から来た旨をお伝えすると、大変喜んでいただけました。
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そもそも中村家というのは、源頼朝の弟・範頼の末裔で大和国に住んでいた武士です。
戦国時代に遠江国を統治していた今川家に招かれてこの地に移住し、今川水軍の確立に協力し軍船を支配したとのこと。
今川家が滅亡し、徳川家康が遠江国支配を始めると、引き続き軍船支配を任されることになります。
この期間に、中村家の屋敷にてお万の方が秀康公を出産します。
家康の関東移封の際に帯同を仰せられるが、中村家は断ったために士分を失い庄屋となります。
しかし、家康の次男の生誕地を守る者として、秀康公の次男・忠昌卿の血筋である越前福井藩と長男・忠直卿の血筋である美作津山藩から士分格を賜り、歴代浜松藩主とは単独で拝謁でき、参勤交代で御三家の尾張藩・紀伊藩、老中・大坂城代・京都所司代といった有力譜代大名、そして越前松平家一門が参勤交代で東海道を通行する際には、中村家歴代当主が御目見をしていたという、特殊かつ格式の高い庄屋として存在していました。
中村家は神官の家柄でもあるため、幕末には討幕側を警固する遠州報国隊を結成し、戦後は衆議院議員を輩出するなど、今日に至るまで雄踏の名家として存在しています。

この鬼瓦が、貞享5(1688)年に中村家住宅が建築されたことを証明し、国重要文化財に指定されるキッカケになったのでした。
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この図は、江戸中期に描かれたとされるもの。
かつては「離れ」があったことが分かります。
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こちらは、重要文化財附の「家相図」。
幕末に描かれたもので、実際にはA4用紙ぐらいの大きさだが複製は見やすくするために大きくしてある。
この時点でも、「離れ」は存在している。
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明治25年に発行された銅版画では、もう「離れ」が無くなって、長屋門が東側に移設されている。
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それでは、重要文化財である主屋へ入ります!
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先に説明すると、、、昭和48(1973)年に国重要文化財に指定されていますが、平成12(2000)年までの313年間は実際に中村家の皆さんはここで生活をしていました。
平成12年に当時の雄踏町に中村家住宅は寄贈され、平成13年からの2年間に2億円以上をかけて保存修理事業を実施、平成16年から一般公開を始めたのです。
素晴らしい茅葺屋根ですが、創建当時は当然ながら浜名湖に自生している葦を材料にしていましたが、、、保存修理事業の時は青森産の葦を使用したとのこと。
茅葺屋根の上部にある瓦屋根は、色あせた瓦は建築当時のものを引き続き使用しているとのことです。

大戸口から主屋の土間へ。
天井が無いため、梁に使用されている木材の曲がりっぷりが素晴らしい。
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入ってすぐ右側にあるのが、土間隅部屋
窓が全く無い暗い部屋だが、使用人たちがこの部屋で寝泊まりしていたのでは、、、とのこと。
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土間隅部屋の奥側に、流しや釜といった炊事場がありました。
実際には、釜は何個かあったのではとのこと。
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釜の煙が井間に入らない様に、壁が屋根にまで設けられています。
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背戸口から外を眺めると、井戸屋形土蔵を確認できました。
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炊事場から、居間を眺めてみます。
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向かって右側(北側)が中村家の生活空間、左側(南側)が貴賓饗応の場所として、ハッキリと役割が分かれています。
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居間の床がとても高い場所に敷いてあり、手前に横たわる木に2本は観覧客が居間に上がりやすくするために置いたもの。
この居間の床の高さが、「格式の高さ」を表しているとのこと。
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まずは、右側の生活空間から拝見、土間に近い畳敷きの部屋が十八畳部屋です。
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十八畳の真ん中に囲炉裏がありますが、、、これまで見てきた古民家の囲炉裏は大抵「自在鉤」があるのだが、中村家住宅には上の梁にも自在鉤を吊るした痕が全く無いとのこと。
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当主の寝室である納戸の敷居は、納戸構といって高い位置に設置されている。
大きく跨がなければならない造りで、賊対策の結果とのこと。
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納戸です。
この納戸の上は中二階となっていて、物置として使用されていたとのこと。
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納戸の隣にある納戸入側から、十八畳を眺めたところ。
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右側の生活空間と左側の貴賓饗応の場所との最大の違いは、柱の角が削ってある(面取りがしてある)か無いか。
右側の生活空間に立てられている柱は、すべて角あり。
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そして、左側の貴賓饗応の場所に立てられている柱は、全て面取り加工がなされている。
ちょうど真ん中にある柱でも、右と左ではハッキリと違いが見分けられることができます。
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保存修理事業を実施した際、ほとんどの壁は新たに塗り直されているのだが、、、この黒い部分だけは建築当時のままの壁を残しているとのこと。
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上がり縁があります。
藩主が中村家住宅へ訪れた際には、当然ながら大戸口ではなくこの上がり縁から入ったのです。
天保15(1844)年には福井藩16代松平慶永公が参勤交代の途中に中村家を訪れているので、この上がり縁から御成りしたのでしょう。
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広間へ入っていきます。
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他の古民家では全く見られない、格子窓が中村家住宅にはあります。
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ここの格子窓は、何故か外から格子・障子・雨戸の順に配置されている。
これでは雨が降った時に障子がすぐに傷んでしまうのだが、、、何故このような配置になっているのかは謎とのこと。
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柱と柱を水平方向に繋ぐ「長押」の下部に溝を彫って雨戸を動かせるようにした、大変珍しい造作「一筋鴨居兼用長押」も確認できます。
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床の間の原形とされる押板
中村家住宅では、神棚や位牌棚としての用途がなされていた様です。
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広間と座敷の間にある、二枚の鏡戸
保存修理事業の時に、この鏡戸が建築当時の建具であることが判明した次第。
開閉によって消耗や破損が避けられない建具が300年以上残っていることが大変貴重です。
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座敷入側から、座敷へ。
座敷入側からかつては「離れ」に繋がっていたと思われます。
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最後に、座敷から右側に配置されている四畳半の上等な部屋。
全ての壁が色土で塗り仕上げられており、しかも中村家住宅で唯一天井がある。
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そして、右側に配置されているのに、この部屋の柱の角だけは面取りがなされています。
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ここまで受付の方のガイドを受けながらの観覧でしたが、この四畳半の障子を開けてくれました!
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この四畳半の障子窓から見える光景は後編で紹介しますが、、、明らかにこれまでの部屋とは別格の位置付けであることが感じられます。
高貴な方(藩主格)の寝室として使用していたのではないか、、、という推測があるそうです。
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四畳半を出て、座敷から広間へと戻ります。
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居間側から眺めた、土間側です。
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居間から見ても、炊事場の煙を防ぐ屋根まで伸びた壁を確認できます。
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この時間帯、観覧客は私一人だけとあって、受付の方のガイドはマンツーマンでお話をいただけて、その後も独占状態だったので、十二分に国重要文化財の古民家を堪能することができた上で、、、主屋から外に出ます。
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後編に続きます。。。
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by chiketas | 2016-01-11 11:50 | お出かけでぶら~り | Trackback | Comments(0)
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